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「浄土真宗のみ教え」についての親教

このたび、「春の法要」が2021年4月13日から15日まで本願寺 御影堂で営まれ、15日の立教開宗記念法要後に、ご門主様より「『浄土真宗のみ教え』についての親教」を述べられました。

「浄土真宗のみ教え」についての親教

 本年も、皆さまと共に立教開宗記念法要のご勝縁に遇わせていただきました。立教開宗とは親鸞聖人が『教行信証』を著して他力の念仏を体系的にお示しになり、浄土真宗のみ教えを確立されたことをいいます。この法要をご縁として、私たちに浄土真宗のみ教えが伝わっていることをあらためて味わわせていただきましょう。
 さて、仏教を説かれたお釈迦さまは、諸行無常や諸法無我という言葉でこの世界のありのままの真実を明らかにされました。この真実を身をもって受け入れることのできない私たちは、日々「苦しみ」を感じて生きていますが、その代表的なものが「生老病死」の「四苦」であるとお釈迦さまは表されました。むさぼり・いかり・おろかさなどの煩悩を抱えた私たちは、いのち終わるその瞬間まで、苦しみから逃れることはできません。
 このように真実をありのままに受け入れられない私たちのことを、親鸞聖人は「煩悩具足の凡夫」と言われました。そして、阿弥陀如来は煩悩の闇に沈む私たちをそのままに救い取りたいと願われ、そのお慈悲のお心を「南無阿弥陀仏」のお念仏に込めてはたらき続けてくださっています。ご和讃に「罪業もとよりかたちなし  妄想顚倒もうぞうてんどうのなせるなり」「煩悩・菩提体無二ぼだいたいむに」とありますように、人間の分別ふんべつがはたらき出す前のありのままの真実に基づく如来のお慈悲ですから、いのちあるものすべてに平等にそそがれ、誰一人として見捨てられることなく、そのままの姿でおさめ取ってくださいます。
 親鸞聖人は「念仏成仏これ真宗」(『浄土和讃』)、「信は願より生ずれば 念仏成仏 自然じねんなり 自然はすなはち報土なり 証大涅槃しょうだいねはんうたがはず」(『高僧和讃』)とお示しになっています。浄土真宗とは、「われにまかせよ そのまま救う」という「南無阿弥陀仏」に込められた阿弥陀如来のご本願のお心を疑いなく受け入れる信心ただ一つで、「自然の浄土」(『高僧和讃』)でかたちを超えたこの上ないさとりを開いて仏に成るというみ教えです。
 阿弥陀如来に願われたいのちと知らされ、その温かなお慈悲に触れる時、大きな 安心あんしんとともに生きていく力が与えられ、人と喜びや悲しみを分かち合い、お互いに敬い支え合う世界が開かれてきます。如来のお慈悲に救われていく安心と喜びのうえから、仏恩報謝の道を歩まれたのが親鸞聖人でした。私たちも聖人の生き方に学び、次の世代の方々にご法義がわかりやすく伝わるよう、ここにその肝要を「浄土真宗のみ教え」として味わいたいと思います。

 

浄土真宗のみ教え

 

南無阿弥陀仏なもあみだぶつ
「われにまかせよ そのまますくう」の 弥陀みだのよびごえ
わたし煩悩ぼんのうほとけのさとりは 本来一ほんらいひとつゆえ
「そのまますくう」が 弥陀みだのよびごえ
ありがとう といただいて
この愚身をまかす このままで
すくられる 自然じねん浄土じょうど
仏恩報謝ぶっとんほうしゃの お念仏ねんぶつ

おしえをりどころにきるものとなり
すこしずつ とらわれのこころを はなれます
かされていることに 感謝かんしゃして
むさぼり いかりに ながされず
おだやかなかおと やさしい言葉ことば
よろこびも かなしみも かち
日々ひびに 精一杯せいいっぱい つとめます

 

 来る2023(令和5)年には親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要をお迎えいたします。聖人が御誕生され、浄土真宗のみ教えを私たちに説き示してくださったことに感謝して、この「浄土真宗のみ教え」を共に唱和し、共につとめ、み教えが広く伝わるようお念仏申す人生を歩ませていただきましょう。なお、2018(平成30)年の秋の法要(全国門徒総追悼法要)の親教において述べました「私たちのちかい」は、中学生や高校生、大学生をはじめとして、これまで仏教や浄土真宗にあまり親しみのなかった方々にも、さまざまな機会で引き続き唱和していただき、み教えにつながっていくご縁にしていただきたいと願っております。

 

 2021(令和3)年4月15日
  浄土真宗本願寺派門主  大谷光淳