インフォメーション
14:00~ 讃歌指導
14:15~ 如月忌(総裁さまご臨席)
14:50~ 記念講演
講師:野村康治師(仏教婦人会総連盟講師)
講題:「念仏者の生き方」にきく
15:30 終了
九條武子は本願寺(西本願寺)第21世明如宗主(みょうにょしゅうしゅ)(大谷光尊(こうそん))の次女として明治20年(1887)に生まれ、やがて男爵・九條良致(くじょうよしむね)と結婚した。その間、真宗婦人会(現・仏教婦人会総連盟)の総裁代理、本部長となり、真宗婦人会の近代化に対して重責を担った。さらに義姉・大谷籌子(かずこ)の意志を継ぎ、京都女子高等専門学校(現・京都女子大学)の設立に尽力した一方、絵画、華道、和歌などの諸芸にも優れていた。
大正12年(1923)9月、武子は東京・築地別院(現・築地本願寺)で関東大震災に見舞われた。自身が被災しながらも、慰問品の分配や着物の縫い直し、また託児所での子供たちの世話など、救援、慈善活動を積極的に展開した。また、慈善活動の一環として被災児童の生活の場「六華園」の創設、震災直後の日比谷公園に設置された「本願寺救護班」、その後の「築地本願寺診療所」の開設、そして、「あそか病院」建院に大きく関わった。しかし、昭和3年(1928)2月7日、42歳という若さで還浄(げんじょう)した。そして、武子の夢であった「あそか病院」も昭和5年(1930)11月診療を開始した。
震災後の本願寺の救護、慈善活動に身心を込めた武子の活動は、宗祖親鸞聖人のみ教えに導かれたものであった。仏教婦人会総連盟では、武子の命日を「如月忌(きさらぎき)」と称して、その遺徳を偲んでいる。
龍谷ミュージアム 特集展示冊子より